サラリーマンうつ病体験談 体調が悪くなっていく日々 2012年6月~8月

うつ病体験談

サラリーマンうつ病体験談 悪化し続ける体調と服薬しながらの業務継続の日々

サラリーマンとしてのうつ病体験の第2弾です。

前回の記事で仕事内容、つまづきの始まりについて書きました。その後は徐々に体調が悪くなる日々でした。心身共にボロボロになっていきます。あの時、思い切って休むという判断ができていればよかったのですが、管理職に上がったばかりで仕事も継続したい気持ちもあって、そいういう判断もできませんでした。今思うとスキル不足な面もあるのですが、抜本的な対応はせずに日々の仕事に対応するだけで、事態は好転するはずもありませんでした。そういう日々を体験談としてつづっていきます。

服薬と業務継続

有給など取れる状態でもなく、さらに深夜勤務が続いていたので疲労が蓄積していました。仕事のストレスから自宅で休んでも交感神経の興奮が収まらずに徐々に不眠症になってきていました。睡眠が満足に取れないと、疲労がより蓄積していくことになり、それが一番身体的につらい問題でした。これを抑えるため薬を飲みながら、仕事を続けていました。薬にすがるような感じでした。

この時期は安定剤として「メイラックス」というのを飲んでいました。超長時間型(半減期が100時間以上)といわれるもので、飲み続けることで鎮静作用の効果が「ずっと」続く、というものです。効果の蓄積があるので、徐々に、しかも深く効いてきます。

私にはこれがつらかった。効果がずっと続くということは、裏返しで副作用もずっと続くということです。薬の副作用でずーっと頭がボーっとするような状態となります。 ひどい睡眠不足・徹夜明けのような頭の痛さが抜けきらないという状態が続きます。 私の仕事は頭脳労働なので、頭の切れがないと仕事に支障が出てしまいます。一錠は私には効きすぎるため、2か月くらいたってからは、薬局で半錠に割ってもらっていました。私は不眠に悩まされていたので、薬を手放すと不眠に苦しんでしまうことになり、服薬せざるをえない状況でした。

また私はお酒が好きなのですが、当たり前の話、お酒との相性が全くダメなので、お酒を飲むと頭がクラクラ、というよりか、フラフラしてしまいました。

薬を飲みながら、数ヶ月はなんとかふんばってきました。が、チーム体制が弱いので、メンバーに対するフォローが一日の中で終わることはありません。進捗をキープするために綱渡りの毎日です。日々の対応に追われて、根本的な解決に向かうパワーもなかったので、仕事の現場はむしろより大変な状況になっていきます。本来であれば、体制を強化する、スケジュールを大きく見直す、など管理職としてしかるべき対応方法があったと、振り返ってみた今では思うことがあります。

プロジェクトのスケジュールそもそもに問題がありました。クライアントの要件を汲み取っていった結果、かなり大規模な開発が必要なボリュームが分かっていました。当初からSAP導入のプロジェクトとしては非常にタイトなマスタスケジュールで全体が組まれていて、設計・開発はわずか3か月の期間しかありませんでした。この期間を遵守するために、リソースだけ大量に投下されます。上司のプロジェクトマネージャーと相談して、全体のスケジュールを見直す、リソース計画を考え直す、といった抜本対応が必要でした。

体制の見直しについても抜本的なものが必要でした。一時はプロパーの管理職がもう一人チームにいたのですが、他チームとの関係からこの方は他のチームに移籍となりました。当時は管理職に上がったばかりで変なプライドもあったのかもしれません。私のチームに複数の管理職が入ることで、私の領域が侵されるような変な意識があったかもしれません。

ただ、当時の状況では、不眠の症状に苦しみながら朝から夜遅くまで仕事漬け。 抜本的な対策を講じるにも大きなパワーが必要になります。土日はぐったり、という生活でしたので、そこまで気力、体力ともにやることはかないませんでした。

また、私の会社でのこれまでの経歴では、どうしてもSAP導入のプロジェクトは多忙を極め、精神的にもギリギリでやることが多かったです。耐える、短い睡眠時間でも頑張る。遅くまで頑張っているメンバーが輝いて見える。私の中でそういうバイアスがあり、その時起こっていた目の前の状況が当たり前のことのように感じてしまった。こういうことも、頭が切り替えられなかった要因かもしれません。

さらに輪をかけて、管理職になって初めてのプロジェクトだったので、結果を出そう、苦しいところでも頑張ろうという気持ちが強く、自分でもブレーキをきかせることができませんでした。

ただ、この服薬しながらなんとか耐えるというような状況に体も慣れつつもあったのと、お客さんが残業などに厳しく、早くから働き方改革に意識をもたれていたことがあり、夜の残業は20時までということになりました(逆にそれまでは無制限です)。朝の始業時間は8時なのですが、20時に業務終了という時間制約が出たことで、長時間残業がなくなり、若干ながら安定をしていました。

深刻化の入り口

前の記事に書いたように、基幹システムの導入を実施する仕事をしています。要件定義時に外協さんが作っていたフローなどが非常にわかりにくく、品質が高いとはいえるものではありませんでした。メンバーはそのドキュメントに基づく理解で設計仕様をしているものですから、要件・仕様が正しく伝わらず、雪だるま式に課題が多く発生している状況でした。こういう状況だったので、課題の建て直しを別チームのメンバーを入れて行われました。

今で思うとこの建て直しのやり方もよくなかったのですが、課題の抽出方法として、新しく追加されたメンバーにまずフローをみてもらって理解できない、要件が定まってなくて課題と思われる点について、ある意味無邪気にあげてもらったら、400個くらいあがってしまったのです。おおよその課題は説明すれば話がすむ問題なのですが、その説明抜きに課題の抽出作業をやってしまったので、本質的にはまったく意味のない課題が膨大に上がってしまう、という分けの分からない状態になってしまいました。ただ、一旦は上がってしまった課題。解決しないといけない本当の課題もあるので、全部の課題内容を確認して、つぶしこみをしないといけません。体調を考慮して休日出勤はここまで控えていたのですが、この課題を放置し続けることもできなかったので、休日も返上して対応しないといけない状況になってしまいました。

この課題立て直しとは別に、基幹システムと連携する承認システムの仕組みにに大きな課題があることがわかり、数人月レベルで修正の可能性がある、というような事態が発生しました。外協メンバーが大きく騒いでいたのを真に受けてしまい、 私はリーダーとしてプロジェクトの進捗で報告に出さざるを得ない状況でした。事実確認や報告のやり方もあまりよくなく、進捗会議では速報・事前の相談というような形で出していましたが、進捗会議の場で大きな問題となってしまいました。 その後落ち着いて私自らが再調査したのですが、結果的に何も問題ではなかった、、というのが事の顛末でした。

課題、メンバーのコントロールをやりきることができずに、振り回される日々。

このような出来事が日々発生し、徐々に徐々にストレス・疲労が蓄積していっていました。安定剤は相変わらず服用していて、副作用・疲労でフラフラな状態です。今にも折れそうな状況でした。疲れ切っているのでプライベートもほとんどありません。趣味のマラソン、育児の記憶などこの時期にはないのです。

これも治ってしまった今だから思えるのですが、自分の体調のことは自分しかわからない。なので、自分からギブアップしない限り、倒れるのを待つしかない。この時はまだ倒れるまではいかなかったので、歯を食いしばって続ける以外自分の中に選択肢はありませんでした。

続き

サラリーマンうつ病体験談:うつ病による休職 2012年8月
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