私はうつを完全に乗り越えました。心身ともにダメになった要因が何で、それをどう乗り越えたのかお伝えしたいと思います。自分自身泥沼にはまってしまい、本当に治るのか、将来に不安を覚えていた時期ももちろんありました。が、今では乗り越えて、より人間が強くなったと思えます。
過去3度、心身のバランスを崩したことがあります。3度とも異なった要因でバランスを崩しましたが、完全に治る道筋はすべて同じだったと感じています。当記事では、一番苦労したケースで記載します。 個人の経験ですが、うつとなる最大のストレス要因を克服して、新しい記憶で上書きすることだと信じています。 これが一番難しいのですが、服薬などでは最終的な解決にはつながりませんでした。克服する、というと言葉が強いかもしれませんが、自分自身の治癒力で、深層心理でストレスを感じている事象を乗り越える、何らかの体験で忘れさる、ストレス要因を遠ざける、ということだと思います。もちろん自身をダメにしてしまった要因なので、それを克服するというのは簡単なことではありません。少しずつ、時には遠回りをして、身体を整えて、その「きっかけ」を待つことなのだと思います。
もちろん様々な人が同じ境遇ではありません。私はある意味、ラッキーだったのかもしれません。精神的にタフだったのかもしれません。 が、 私が治った経緯をもとに苦労されている方のヒントになればと思います。 勝手なことは言いにくいですが、治らない病気ではないと思います。
また、治療を通じて、その他効果的だったことについてもまとめます。
うつとなる最大のストレス要因
私が心・身体を壊した、さらにダメージを与えた要因は次の2つでした
- 仕事のストレス
端的に言うと、ダメになってしまったのは過重労働です。ITコンサルタントのマネージャーの職位にあるのですが、担当プロジェクトの体制が弱く、山積みの仕事をこなすことができず、肉体的にも精神的にも耐えきれなくなりました。
詳細は過去ブログ記事をご参照



一度仕事でダメになり、復帰したとしてもまた同じパフォーマンスで仕事ができるはずもありません。
体調も思わしくない状態で、不眠症がどうしても改善しませんでした。服薬しながら継続してきましたが、仕事に穴をあけるようなこともしょっちゅうありました。
当たり前の話で評価がまったく振るわず、最低評価(L, A, B, Cのうち、Cです)を5四半期連続で受けることになりました。私の会社では3四半期この評価が続くと人事上の降格の目安となります。パフォーマンスが出せない要因がはっきりしていたので、ドライに降格とまではなりませんでしたが、毎期の評価時期となる評価マーク、人事からの圧力におびえていました。評価を受ける度に心の傷が深くなってしまいます。何度様々なことをやっても評価がよくなることはなく、泥沼の状態でした。
心身を壊した理由は過重労働でしたから会社によってつぶされたという気持ちが当初強く、労働災害として会社を起訴しようかとおもっていたこともありました。私の会社はコンサル業なのですが、仕事の結果としてハイレベルなものを求めら、負荷も同様に高いものがあります。ずっと続けられる自信をなくしてしまい、会社をやめよう、という気持ちも強く思っていました。
が、結局、起訴しても会社に残ることはできなくなるし、転職活動を行っても上手くいかない状況でしたので、何もせず(できず)じっと耐え忍んでいました。
- 子供の死別
仕事で心身ともにズタズタなところで、2歳7か月の長女が亡くなるという大きな出来事がありました。これによって、さらに大きな傷を受けてしまいました。
娘は突然死でした。
何事もなく保育園から帰り、自宅で夕食を一緒にとっていました。その後リビングでくつろいでいたら、娘が突然嘔吐し、痙攣をおこして動かなくなってしまいました。救急車を呼んだものの、着いた頃には心肺が停止していました。病院についてから処置をしていただいたものの、そのまま亡くなりました。死因も不明です。あまりにも突然すぎる出来事であり、目の前で娘が亡くなったというショックは何事にも代えようがありません。
亡くなってからは、妻とともに毎日泣いていました。日々の生活で一番大事なピースが欠けてしまい、心に大きな穴が開いてしまって何事にも手がつくような状態ではありません。このころは生きていく意味を見出せませんでした。娘の代わりになってあげたい、という気持ちでした。
ストレス要因への対処からの劇的な回復
心に大きな傷を負ったわけでしたが、逆にこの心の傷を癒す、過去の記憶を上書きするような出来事があって、このストレス要因から解放されました。すっと心が軽くなって、一気によくなりました。これは過去3度心身のバランスを崩したときすべてに当てはまります。これまで薬をいくら飲んでも最終的な寛解とはなりませんでした。
- 子供の誕生
子供の喪失の悲しみは、子供を授かる、ということで解決されました。が、これにも多くの苦労はありました。子供が亡くなってから一定期間たってようやく悲しみが薄れるとともに、妻とともにやっぱり子供がほしいよね、ということで妊活をしました。が、すでに高齢出産となる年齢となっており、中々思うように子供はできません。不妊治療のクリニックにも行きました。検査しても特に問題となるようなことはないため、タイミングだけということでした。今月も子供できなかったね、ということの繰り返しで妊活自体にも徐々に疲れていきます。自然妊娠するであろう期間が筋始めていることから、クリニックの先生は「ステップアップしますか?」というようなことを進めてきます。(商売上手ですね)
上手くいかない日々がつづいてましたが、ここで妻からの提案があり、伊勢神宮にお参りに行きました。パワースポットを巡ってストレスからもだいぶ解放されました。とすると、いきなり妊娠ということになりました!まさしく神頼みです。ただ、この回は順調に育つということがなく、1か月ほどで流産となりました。赤ちゃんの心拍が確認でき始めたころだったので、もちろんショックを受けました。
ほどなく、妊活を再開します。ストレスの要因も減っていたのか、4、5か月ほどで赤ちゃんを授かりました。順調に育ち、無事に産まれました。長女が帝王切開だったので、次女も帝王切開。私も帝王切開の手術に立ち会って、子供誕生の喜びを分かち合えることができました。子供が中々さずからなかったのも、二人のストレスの問題が多かったように思えます。
妻が妊娠する、ということでもだいぶ心が軽くなり、さらに子供の誕生というこで一気に気持ちが晴れるようになりました。
- 仕事の継続、会社の評価
会社も私のことをフォローはしてくれており、いろいろな仕事を与えてくれて、やれるものを見極めていきました。コンサル業をしており、クライアント先のPJで仕事をする、というのが自分の会社での一般的なキャリアではありますが、主に自社内でやれる仕事をアサインしてもらいました。
モバイルソリューション立ち上げ、リスクコントール部門、提案活動、アウトソーシング業務などなど
もちろん評価をすぐに取り戻すことはできませんでした。どうしてもアップダウンがあり、継続して業務を続ける、というかむしろちゃんと会社に行く、ということが難しかったです。服薬や運動で体調を崩しすぎないところでキープし、徐々に仕事に戻っていきました。3年ほどかかりました。
なんとか我慢して仕事を継続していく中で、子供が生まれたことでだいぶ心身が楽になりました。これで仕事にも打ち込むことができ、最低ランクの評価から脱することができました(相対評価でぎりぎり切り抜けられたような状態でしたが)。この時は社内でやれるアウトソーシングの仕事です。これを一通りやりきることができ、また元のようにクライアント先でのPJ業務に戻ります。ここで実績を出すことで高評価を勝ち取ることができ、評価におびえるような こともなくなりました。自身を取り戻し、PJ業務以外の社内活動にも精を出し、好循環が生まれるようになりました。
辛い状態があってもなんとか耐え忍ぶ。きっかけを待つ。頼れる人に頼る。
過去の嫌な記憶を上書きすることで一気によくなりました。
通院・投薬について
私は、薬で治る、ということはないと考えています。
抗うつ薬、安定剤、睡眠薬、と一通りネットに出ているようなものは服薬しました。
特に抗うつ薬は、副作用の方が先に出ることで身体がついてこなく、すべて断念しました。
ただ、身体的な症状として不眠症が強く出てしまうため、安定剤と睡眠薬はずっと服薬していました。というよりむしろ、薬が無いと生きていけない状況でした。
しかしながら、安定剤と睡眠薬では根本解決にはなりませんので、体調がこれ以上悪くならないようにキープする、という位置づけでした。体調を維持する、そして治るきっかけを待つ、という形です。
通院については、何度なく転院しました。先生が変わるたび、また症状によって診断がコロコロ変わり、信用がもてませんでした。光トポグラフィーでの検査も行いました。
最後に信頼できる先生にお会いできましたが、 薬は積極的に摂取することは推奨しない方で 「疲れをとって回復をまってください」ということばかりです。一向に回復しない時期はじれったくてしょうがなかったのですが、結果的に正しい方向に導いてくれました。
運動の意味
学生時代から部活動をやってきたこともあり、私は体を動かすこと好きです。これによって救われたことが非常に大きかったと思います。
・マラソン
社会人になってからマラソンに打ち込んでいます。フルマラソンで3時間切りを目指していて、そのための練習を長らくやっています(今のベストが3時間3分です)。マラソン練習というと走るだけのイメージがある方が多いと思うのですが、スタミナ構築、スピード維持、フォームの習得、ペース感覚の養成など様々な要素があり奥が深いものです。特に苦しい追い込むような練習は一人で実施することが難しいので、チームに所属して活動をしています。
このチームではみなさん真摯にマラソンに取り組んでおり、人間的にも素晴らしい方がたくさんいます。年代、職種も様々です。こうした方々と人間関係を構築し、一緒にマラソン練習に取り組んできました。そして練習してきた結果をレースで発揮するのです。結果を出し(狙ったタイムを出し)、みんなで打ち上げをしておいしいお酒を飲む。非常に達成感のあるスポーツです。
マラソンで劇的に体調が好転するということはありませんでしたが、素晴らしいコミュニティに所属することができ、ストレスの改善に好影響を与えてきました。子供が亡くなって人生何も生きる目的が見いだせなかったとき、マラソンをやることだけが救いでした。特に東京マラソンには毎年のように出場しており、この時にベストを出したときには亡くなった子供が応援してくれたかのようでした。
・深呼吸
非常に地味ですが、深呼吸の大切さが体調維持に好影響を与えました。マラソン練習でケガをして走れない時期にヨガに通っていたのですが、深い呼吸で身体をゆっくり動かすということで、信じられないくらいストレスが緩和されました。
心理カウンセラーの方からも深い呼吸法について教わりました。これによりストレスが緩和され自律神経のバランスが整えられることを学びました。呼吸は自らコントロールできるので、ある意味ストレスや自律神経バランスもコントロールしやすくなります。
何も急いでせかせかとやるだけではない。一回立ち止まって深く呼吸する。この大事さがわかりました。
一度うつを経験して学んだこと
誰にでも何らかのきっかけでメンタル疾患になりうる、ということが実体験としてわかりました。また、一度なってしまうことで、そこから復活するまでの道のりが非常に長い。
周囲の方々に同じような苦労をさせたくないし、苦労している人の気持ちがよくわかるようになりました。逆に自分がならなければ、他者の気持ちがわからなかったと思います。
公私ともにパフォーマンスを継続するために、無理をしない、疲れたら休む、その大事さがわかりました。身体を壊す前は、無理のし過ぎでしたから。セルフコントロールができていたら結果も違っていたかもしれません。
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