サラリーマンうつ病体験談:うつの深刻化 子供の死別によるショック 2013年7月

うつ病体験談

サラリーマンとしてのうつ病体験をつづっています。今回はその第9弾です。

前回記事で体調に折り合いをつけながら、仕事での再起を図っていく日々を書きました。

こういう日々を送る中、ある日突然、子供が2歳7か月という幼さで死別します。悲しみの奥底に落ちてしまいます。体調が一気に悪化し、人生のどん底を経験しました。

突然の死別


7月10日

それは、突然でした。

2歳7か月となる子供がいました。その日は楽しく夕食を子供ととっていました。妻は水曜日ということもあって、帰宅後にジョギングに出ていましたから、私と子供の二人です。夕食後にリビングでくつろいで二人で遊んでいると、突然、子供が嘔吐し、痙攣をおこしました。子供は何度か熱性けいれんを起こしたことがあったので、暑い日でしたし、初めはまた同じ症状かと思っていました。

汚物を拭いたりして、初めは落ち着いていました。以前何度か熱性けいれんになることがあって、病院に行った時も、こういう時は早く救急車を呼んでいいんだよ、ということを教えられていたので、急いで119番へ。10分くらいでしたでしょうか、すぐに救急車がきました。

救命士の方が部屋に入り込んで子供の様子を見ると、その状況を見て、まっさきに心音確認、心臓マッサージを始めました。妻がちょうど帰ってきたところで、私と妻と救急車に乗って病院へ向かいます。その時も子供はずっと心臓マッサージを受けていました。あまりに急なことで気が動転しました。が、まさか命を失うことになるとはこれっぽっちも思っていません。

病院へ着くと、そのまま子供は処置室へ。私と妻は夜遅く、病院の待合室で待たされます。

しばらくするとお医者様が呼びに来てくれて、簡潔に状況を説明してくれました。心臓は止まっていると。。もうこれ以上処置をしても体を傷つけるだけで、希望はない。それだけ伝えられました。

処置室へ向かうと、子供が横たわっています。先生はまだ懸命に処置をしてくれていました。が、心臓マッサージの手を止めると、モニターがまったく動きません。その時、子供の状態を悟りました。

22時30分、臨終を告げられました。

あまりにも急でした。


この後、自宅へ子供とともに帰ることになります。夏場だったのですぐに遺体が傷んでしまうのでしょうか。数時間経ったところで、横たわっていた子供の口から何か液体が出てきました。拭ってあげますが、あまりに可哀そうな姿になってしまっていて、妻と大きな声で泣き叫びました。こういうのを号哭というのでしょうね。

この年は猛暑の年で梅雨明けも早かったです。遺体も傷んでしまうので、葬儀もすぐに執り行われました。保育園のお友達もお通夜、お葬式に駆けつけてくれましたが、その時の悲しみと言ったら表現のしようがありません。今思いなおして記事を書いていますが、その当時の思いがこみ上げて涙が出そうになります。

死因は不明でした。髄膜炎の疑いが強いともいわれましたが、解剖してみないと詳細にはわからないと告げられました。年齢的にも次の子供を授かる可能性が十分にあるから、ということで解剖を勧められますが、横たわっている子供をさらに傷つけるようなことはまったく判断ができませんでした。

その後の日々

妻と共に子供中心の生活をこれまで送っていました。日々成長していく子供の成長が楽しみでした。保育園の送り迎え、風邪をひいたときの看病など大変ではありましたが、それだけに愛着も深くなってます。無邪気に笑う姿などかわいくてしょうがありません。

一番大事なピースが欠けてしまって、心の中に大きな穴が空いたような気持ちになりました。2歳というと元気に満ち溢れていていつも家の中を動き回っています。子供がいなくなってしまうと、妻と二人の生活はあまりに静か。静寂に耐え切れません。毎日子供の写真や動画を見て泣きながら過ごすような日々でした。

会社は一週間の休みをとっただけで、業務に戻りました。しかし、あまりに悲しみに包まれててまったくと言っていいほど、仕事は手が付かない状態でした。会社に行っても何もせず、というか何もできず定時を迎えてしまうという日々です。

病状も悪化をたどります。前向きな気持ちになることがまったくできず、生きていく意味が見いだせない、子供の身代わりになってあげたい。こういう気持ちで覆いつくされ、妻と毎日泣き暮らしていました。そういう人生のどん底の時期でした。一番苦しい時期で、見た目からもきっと正常ではなかったと思います。

お葬式に来ていただいた友人関係の方々も、その時は一緒に悲しんでもらえるのですが、これがすぎるとみなさんは元の日常に戻っていかれます。どうして、自分たちのところだけが、こんな悲劇に合わなければならないんだろう。Facebookで友人の幸せそうな姿を見ることができず、しばらく開くことさえできませんでした。

この悲しみは、時間だけが解決してくれました。不思議なことに徐々に時間の経過と共に悲しい思いは和らいできます。人間、記憶がずっと残らない、記憶は薄れるもの、ということはこういう悲しみに対しては良いものなのかもしれません。

また、心のバランスを取るのに趣味のランニングはできていました。静かな早朝にジョギングをする。それだけが救いでした。

続き

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